モデル業

2023年02月15日 11:32

初めてのモデル仕事は20歳で、いわゆるカメラ小僧の囲みモデルだった
軽い気持ちで日当15000円目当てで始めただけで、長くやるつもりもなかった
カメラ持ったおじさんたちに取り囲まれてただただ撮られるだけで15000円もらえる
正味1時間程度のアルバイト

そこからなぜか仕事がバンバン入るようになり
プロカメラマンのモデルをやり始めて、なんといまだにオファーが来る

もうオバハンやから

無理やん

と思いながらも、カッコイイ系写真は私が良いと言っていただけるのは嬉しいもので


どこがいいのか聞いたらどのカメラマンも同じことを仰る

「顔が小さい」「全体のバランスがいい」「笑ってない顔がいい」

へ〜〜〜〜そうなんだぁ〜〜〜〜〜

てなくらいの感想しかない

身長は160あるかないかのチビだし、特に足が長いわけでもないし
普通だけどね。至って。

もう別にモデルやりたいとは思わないのだけど
親しいカメラマンに頼まれると断らない
私なんかで良ければどうぞどうぞ、お好きなように
脱いでもいいし、顔なしでもいい、煮るなり焼くなりお好きにどうぞ。
体とか顔なんて、ただの表面に過ぎないので、どうでもいい。

表面から滲み出る内面までも映し出せるカメラマンは
そんなにいないし、私もそんな簡単に滲み出さない。

ただ一度だけ、絵のモデルになった時は痺れた
ファインダー越しじゃなく、目で見つめられて、しかも動けない
カメラ撮影はワンショットずつポージングを変えるし、ひたすら動いているのに対し
絵のモデルは一ミリも動けない
画家がデッサンしている間、同じところを見て、表情も変えられない
紙の上を走る鉛筆の音だけが響くアトリエ
画家にじっと見つめられる時間

写真よりずっと緊張感があって
セクシーな時間だった

写真と違って完成までに時間がかかるので
忘れた頃に「完成しました」と連絡が来る

見にいくと写真とは全く違う、画家の脳内にある私がそこにいる衝撃

私ではないようで、明らかに私

だけど私じゃない。

ああ、やっぱり写真より芸術性が高いのだ、絵画というものは。

そう思いました

その画家は老齢の男性で、なぜ私を選んだのかと聞くと
「単純に好みだったからです、僕だって男なんで好きじゃないと描けないですよ」

思わず吹き出したし、正直な人だと思い、ファンになった

個展をやると葉書が届いて見に行くと、入ってすぐに私の絵が飾ってあり
すでにSOLDの札がついていた。
私はもうその絵を見ることができないのが少し残念だけど
売れたことは嬉しかった

ありがたいことに色々な場面で物体としての私が形になり残されている
そして自分では音というもので自分の内面を形にして残している

どちらも感謝すべきことで、そういうことができていることはとてもラッキーなことだと思う

いつも頭の中はぎゅうぎゅう詰め
何かを想像して、考えて、勝手に苦しんでいる
それを解放するために私は曲を作り歌詞を書く
きっとカメラマンも画家も、同じだから
そのお手伝いをすることは、苦痛じゃない。

芸術ってとどのつまり、その人の苦痛が原点で幸福ではないのだろうから
その苦痛を癒せるのが、写真だったり絵画だったり音楽だったり詩だったり
自分が最も得意なツールでそれらを表現しているわけで

人間の脳の奥深さを、まざまざと感じる。
昨今、AIで絵も音楽もなんだって作れるけれど、技術ではないこの苦痛を抱えたその先
乗り越えんとする想い、そういったものはAIには表現できないだろう

けれどもっと大切なことは
AIに表現できないものを、ちゃんと見る側が聴く側が感じ取れるだけの目や耳を持っているかで
それに気づける人もまた、AIの進化と共に減少していると感じ

戦慄しています。



こちらは女流カメラマン松柳さんのモデルになった時
顔はいりません、体だけで、というオファー笑

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