無類のコーヒー好き
というほどではないが、私はコーヒーがほどほどに好きである。
朝は必ず一杯のホットコーヒーから始まる。
掃除を終えてもう一杯、昼にまた一杯、3時の休憩に一杯
大体1日に4、5杯は飲んでいる。
とはいえ、本格的なドリップコーヒーばかりでもなく、インスタントでも平気で
銘柄も全く拘らない。
味と香りがそこそこコーヒーでありさえすれば良い。
そもそも、美味しい不味いもあまり拘らないタチである。
基本、飲めりゃいい、食えりゃいい。
先ほど、いつものようにインスタントコーヒーを淹れながらふと思った。
いつからだろう、コーヒーをブラックで飲み始めたのは。
気づけば当たり前のようにブラックで飲んでいるが、その昔、コーヒーを飲み始めた頃は砂糖をたっぷりいれて
ミルクも溢れんばかりに入れていた記憶がある。
そう、父が淹れてくれていたのは、そういうコーヒーだった。
「コーヒー飲むか?」
そう言って父が作ってくれたインスタントコーヒー。
体に悪いほど砂糖を入れてくれたものである。
それにパンを浸して食べていた。
おそらく、小学生3,4年の頃だ。
クラスメイトにコーヒーを毎朝飲んでいると言うと大層驚かれた。
コーヒーは大人が飲むものという概念があったのかも知れないし
家庭によってはコーヒーは子供が飲むと害があるとか、コーラは骨が溶けるとか
そういう根も葉もない話もあっただろうと思う。
うちの両親はあまり、というか、全くそういうことに無頓着な人であった。
食べ物に関して「これは体に悪いからダメ」と言われた記憶は一切ない。
コーラもポテチもコーヒーも、色鮮やかなキャンディーもグミも一度だって咎められたことはない。
それがいいことか悪いことかは分からないし、今となっては今更どうしようもないことだ。
父は時々、まだ幼かった私たち兄妹に何かしらおやつを作ってくれた。
それは冷蔵庫にあるもので、または私たちにお使いに行かせて。
仕事が忙しくあまり日常的に構ってもらえない私たちは、その父の気紛れ的なおやつ作りが滅法嬉しかった。
ある日、父の気紛れおやつ作りがいきなり発動され、私たちは嬉しくて嬉しくて
今日は何を作ってくれるのかとはしゃいでいた。
「さつまいもがあるからスイートポテトにしよう!」
と父が言い、私たちはやったー!と大声で喜んだ。
しかし冷蔵庫の中を父が眺め
「卵がないから作れんわい」
そう言って気紛れおやつ作り熱は一気に覚めてしまった様子。
それがあまりにも悲しくて、私たちはなけなしの小銭をかき集めて近所の商店に走って卵を買いに行った。
ワンパックだけあった卵を大切に持ち帰り、父に手渡すと父の気紛れ熱は再稼働を起こし
「よし!じゃあ作るか!」
そう言って芋を蒸し、卵や牛乳、砂糖で調理し、形を整えていざオーブンへ。
その姿を私たちは傍でじっと見つめていた。
焼き上がるまで3人で何度もオーブンの様子を伺っていた。
そして美味しそうに焼き上がったスイートポテトを、3人で分けあって食べた。
今思えば、私たち兄妹は、父がせっかくやる気を起こしたのに、それが卵が無いせいで冷めてしまうことがとても悲しかったのだろうと思う。
けしてスイートポテトがどうしても食べたかったわけではなく。
それくらい、父が何かを楽しんで作っている姿を見るのは楽しかったのだ。
父は信じられないくらい短気で、一度キレると手が付けられない人であったが
物作りに関してはどれほど手間がかかろうが、時間がかかろうが平気という人だった。
それについては兄も私も感謝していて、私たちはそこはしっかりと遺伝させてもらっているから
今があると思っている。
父も兄も私も、どちらかと言えば生きるのは不器用なタイプだ。
ものすごい社交的でもなく、しゃしゃり出るタイプでもなく
自分から目立ちにいくタイプでもない。
自分のことを過信もしないし、どちらかというと自分を貶しながら生きる性格で
めちゃくちゃ明るいわけでもないし、やたら前向きなわけでもない。
良いところがあるのかと聞かれると悩むほど、普通である。
ただひとつ、良いところがあるとすれば
「欲がない」
ことかも知れない。
おそらく父も兄も、その欲の無さが日本で暮らす上では最大のデメリットだったのだろうと思う。
兄だって日本で頑張っていればそこそこの建築家になれていたかも知れない。
しかしその欲が無かった。
別に自分の名前が世に広まらなくてもいい。
だからグアテマラへボランティアに行ったわけだが、兄は別に「人のために世のために」みたいなことすら思っていなかったという。
ただ、自分の経験で何ができるのか知りたかっただけだという。
必死に学んだ建築学で、グアテマラのインフラ整備にどれほど自分が対応できるのか、ただそれだけだったそうだ。
そもそも世の中のためにとか、そんな上から目線で現地の労働者と一緒に働けない、と兄は言った。
同じ人間として、ガスも水道も電気もない状態から「少しでもマシな生活」を送れるようにするため
それだけなのであって、より裕福にとか、そういう次元ではない。
ボランティアと聞くと、何となしに自己満足的な匂いが付き纏うのはここが日本だからで、本当の貧困国ではそんなものでは全く歯が立たない。
良いことをした気分に浸っている暇はなく、自分自身もその貧困と共に生活を送らなければならない。
だから尚更、せめて水を普通に使えたら、電気が点けば、ガスが通れば
少しでも人間らしい生活ができる、その思いだけで必死に現地の人と働くのである。
けして綺麗なホテルに滞在して美味しいご飯を食べられるわけではないのだ。
そして無事にインフラが整った村々に、兄の名前はこっそり残っていたりする。
日本の誰一人兄のことを知らなくても、そこで暮らす貧しい人たちの記憶には残っている。
そういう経験をした兄は日本では負け組かも知れないが、私にとっては世界一誇れる存在である。
それはそうと
兄を追ってグアテマラで暮らしている父も母も、毎日何かを作って暮らしている。
それは野菜だったり、手作りのジャムであったり、お裁縫だったり、たまには大工仕事だったり。
その日その時必要なものを、必要なぶんだけ。
今日も今週飲むぶんだけのコーヒー豆を、父は手提げ袋ひとつ持って買いに行っただろう。
母も今日食べる分だけの野菜や肉を買い、慎ましく暮らしているだろう。
誰も自分のことなど知らなくていい。
ただ毎日、美味いコーヒーが飲めたらそれで十分だろう。
父がグアテマラで言っていた言葉が、この年齢になって心底沁みる。
私もいずれはそこに行くけれど、もう少し日本で食いしばらないといけないからね。
ここで自己満足で終わらない社会貢献を少しでもして、そちらに向かいますよ。
それが私の、移住の準備の仕方のような気がするのだ。
人生で成功するということは、どういうことなのか。
そもそも「成功」とか「失敗」なんて人生においてあるのか。
あるとすればそれは金でも名誉でも地位でもなく、今の自分の生活に満足できる心じゃないだろうか。
欲が深いと、人の物まで奪いかねない。
欲が深いと、人の心まで壊しかねない。
欲が深いと、自分が不幸に見えてくる。
EARSY