うちの家族の話 母編

2021年11月08日 10:39

とにかくめっちゃくちゃ怖い人

母をどんな人かと聞かれるとまずそう答える。

女王の教室というドラマがあったが、その主人公の鬼女教師くらい怖い。
理不尽極まりない教育をされてきました。私たち兄弟。

成績が落ちると飯抜き、無視、勝手に大切なおもちゃや漫画を全て捨てられる。
納屋に閉じ込められる。
口答えしたら全力で平手打ち。

そんなの日常でした。

母は中卒で家出をし、大阪へ行き住み込みのバイトをし、18歳でデパートの売り子になり
夜はクラブのホステスをしていた。

婆ちゃんとは大層な不仲で、いっさい連絡もとっていなかったそうだ。

クラブでは不動の売り上げNo1ホステスだった母
私が高校生になった頃には、どうやったらそうなれるかを指南してくれたものです。
「絶対寝るな」とか「媚を売るな」とか「自分より頭の良い人と付き合え」とか

鬼のように恐ろしい人だったが、鬼ように筋が通っている人でもあった
そして孤独を恐れない人だった
人と連まない人だった
ママ友なんて一人もいなかった

そして病的なほどに綺麗好きで
我が家には埃ひとつ落ちていなかった
本当に子供がいるのかと疑うほどに一ミリも乱れていない家だった
いつ帰っても片付いている
どんな時もピシッとしていた。

服装に関しても、私は母から学んだことは多かった。
今ではすっかりグアテマラファッションだが、日本にいた頃の母はそれはそれはオシャレさんだった。
シンプルイズベスト、な人だった。
色は2色まで、というこだわりがあり、ごちゃごちゃとしたアクセサリーも付けなかった。

そんな母も、私が大人になってからは色々と面白い話を聞かせてくれた。
例えば父と初めてデートをした時の話
母はおめかしして一張羅のワンピースを着て父と待ち合わせた
父はいつも通り明るくやってきて、食事場所へ母を案内した
どんな店に連れて行ってくれるのだろうとワクワクしていたら、なんとそこは
ホルモン焼きの店だった。
しかも今にも崩れそうなトタン屋根の、肉体労働者の皆さんが昼間っから泥酔しているような
ホルモンの脂と煙で目が痛くなるような店だったそうだ。

母は呆気に取られながらも「ここのホルモンが一番美味いから!」
と無邪気に言う父を横目に大嫌いなホルモンをむりやり食べ
「ないわ〜〜〜〜無理だわ〜〜〜〜」と思いながらもそのままお付き合いをし、結婚した。

その理由はなんと

「顔が良かったから」

だと言うのだから笑いを堪えることは不可避だった。

娘の贔屓目で見なくても正直、父は相当なイケメンである。
確かに、顔が良い。うん、そうだな。異論はないよお母さん。

実際、スカウトされたことはあったそうで、当時の映画に裕次郎や小林旭と一緒に出ていても遜色ないくらいの男前だった、若い頃は。

実際、私が幼稚園の頃、父がお迎えに来ると先生たちが一斉にお化粧直しをし、父の元に集まり、
「今日も愛ちゃんは良い子でしたよ〜〜」などと色目を使っていたし
「愛ちゃんのお父さんカッコいいよね〜〜〜」と毎日言われていた。

母は「顔が良い」をかなり結婚相手の条件として高く持っていたようで、その理由は
「見た目の遺伝子だけは親の遺伝子そのまま受け継ぐから超重要」
なのだからもうなんていうか、そりゃそうだけど、まぁそのおかげで私がいるからありがとう。ですけど。
いちいちクールなの何? 計算づくよ、みたいなの何? もっとキャピキャピした話ってないの?

父と母の性格はまるで違う
なのになぜか喧嘩しつつもうまくやってきた。
けして順風満帆な人生ではなかったけれど、その荒波を夫婦で必死に乗り越えてきた。
今思えば、父は母がいなかったら今頃死んでいてもおかしくないと思うし
母も父でなければ、これほどサバイバルな人生も歩んでいなかっただろうと思う

結果として、二人は結ばれるべくして結ばれたのだろうと思う。

父と母、どっちが先に死んだ方がいいかなと考える
私は父が先の方がいいだろうと思う
父は母が先に逝くとおそらく、泣いて泣いて落ち込んで、今ほど元気ではなくなるだろう。
母は一人になっても、相変わらずクールに生きていくと思う。

打たれ強さで言えば、母の方が断然強い。

あの強さのおかげで、私たち家族は今日までやってこられている。

私は母と会えば今でも大喧嘩するし
絶対受け入れられない部分が根深くあるのですが
それでも母のことは尊敬しています。
あんな父をずっと支えてくれてありがとう、あなたでなければ、無理だったと思います。

EARSY






グアテマラ チチカステナンゴ 少年 photo by EARSY

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